合氣道唯心会 aikidoyuishinkai

































 

合氣道に於ける「型」の意味について

会主  丸山維敏

現在、今の若い人は「型にはめる」という言葉を嫌ってか、
武道に於いても「型」を嫌い自由に動くというスポーツ的発想
を持つ人が多い。その結果、四十の声を聞くと殆どの人が現役
を引退し、いわゆるコーチにまわってしまう。

 しかし、昔の剣豪と謂われた人々、塚原ト伝、上泉伊勢守、
柳生石舟斎等々は、全て打太刀、使太刀に別れ、型のみの
稽古に明け暮れたもので、しかもト伝は生涯六十回以上も
真剣勝負を行って毛筋程の怪我もしていない。

 おまけにト伝は六十歳を過ぎてから何回目かの諸国武者修行
に出ている。ト伝に限らず、当時名の知れた人々はいずれ
も一ミリ程のかすり傷も負っていない。

 新陰流三代目の柳生兵庫介は、新陰流初心者用の三学円之太刀
その一「一刀両断」のみを兵介と呼ばれた若年の時、二時間
毎日稽古したという。

 勿論他の型もそれぞれ二時間づつ稽古したと謂われている。
 これによってその動きを完璧に身につけることができる。
 そこにどんな使い手が挑んでこようと、絶対不敗の信念で立
ち向かうことができる。


開祖植芝盛平先生は、弟子達ががんばり合いの稽古をしている
のを目にすると烈火の如く怒られた。自転車練習中の初心者
に近寄りわざとゆらしたり、転倒させて上手に乗れなくさせ
るのが、合氣道稽古中のがんばり合いと説明すればわかって
もらえるだろうか。   

稽古は、八百長とは違う。お互いが伸びるように助け合うので、受身が
天地一体(統一体)となって、技が利くように導くのが合氣道である。
剣でも斬られ役の打太刀は必ず上級者が行う。

 それによって下の者が伸びるのである。
 合氣道は全て往年の武芸者が行ったと同じ「型」
である。それが嫌な者は他のスポーツに行けば良い。
 そんな者はいらない。