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丸山維敏

1936年10月5日、東京日本橋に生まれる。
1959年、慶応義塾大学経済学部を卒業。父の経営する丸山工業に入職する。中学の頃より武道に興味を抱き、慶応義塾大学合氣道会に入会、藤平光一先生を知る。卒業後も家業を助けるかたわら、合氣道の稽古に精進する。
1967年、家業を弟にゆずり、合気会に入職する。
1971年3月、藤平光一先生の代理として4か月の間ハワイへ行き、合氣道を指導する。
1972年、前年9月に藤平光一先生が創立した氣の研究会の指導員となるため、合気会を脱会する。藤平光一先生より、八段を授与され師範部長となる。
1990年10月28日、(財)氣の研究会会長に就任する。
1991年7月29日、(財)氣の研究会会長を辞任する。
1996年5月9日、合氣道唯心会を創立。

主な経歴

(財)氣の研究会会長、心身統一合氣道会会長、心身統一合氣道学院院長、気圧療法学院院長、ハワイ大学客員講師、慶応義塾大学体育研究所実技指導員 合氣道(合気道)とは、武道家・植芝盛平(1883年12月14日〜1969年4月26日)が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道です。
植芝盛平が日本古来の柔術・剣術などを修練し、更に独自の精神哲学を取り入れて完成させた、体術を主とする総合武道です。


稽古の形態は、主に二人一組の約束組手形式(決められた技を合意の元で行う)で、投げと受けの役を交代しながら繰り返し行います。
また、一人の投げに複数の受けが掛かって行く多人数掛けの稽古や、武器(剣・杖・短刀)による稽古も行われます。
投げ技、関節技の稽古が主となり、打撃技の稽古はほとんどありません。


合氣道唯心会のいろはかるた

現代に伝わる「いろはかるた」の内容は、以下の通りである。
いろはにほへと ちりぬるを  (色はにほへど 散りぬるを)

わかよたれそ つねならむ   (我が世たれぞ 常ならむ)

うゐのおくやま けふこえて   (有為の奥山  今日越えて)

あさきゆめみし ゑひもせす  (浅き夢見じ  酔ひもせず )
(中学教科書より) 
※「涅槃経」という仏教精神を和文で表わしたと言われる 「いろは歌」 47文字と、「京」 を合わせた 48文字を、句の頭において作った 短歌のかるたです。この 「いろはかるた」 は、江戸中期に京都で作ら、大阪、名古屋、江戸にひろがってきたといわれています。

合氣道唯心会のいろはかるた       会主 丸山維敏先生

い いろいろと 思い悩むな 人生は 過ぎてしまえば 元の木阿弥
ろ 論ずれば 心は荒れる 身は細る 身体に聴けよ 勘の動きを
は 晴れてこそ 姿美くし 富士の山 曇りてのちは 人は見ざらめ
に 匂うれど 梅は思わず 只咲きぬ 己がつとめを 果たさむとして
ほ ほめてこそ ただほめてこそ ほめてこそ ひとはしたがう ものとしれ
へ へたな考え やすむににたり われありと おもう心が まよいなれ
と ときもなし ばしょもなければ われもなし この「三無」こと「極意」とぞ知れ

ち チカラこそ つよさと思う ひとびとを 笑ってみちびけ 愛の心で
り 利をもとめ 理屈をつけて 銭かせぐ アダムとイヴに堕ち氏し人々
ぬ ぬるま湯に 浸りし世人 覚醒す 神の怒りに 氣付け諸人
る 類年の稽古かさねて今ぞ知る 真の武道の目的を
を をれをれと 年寄りだます わかものの ゆくてにあるは あわれな末路
わ われいく 忍の一字を胸に秘め 愛と光と武の道を行く
か かまくらに はじまる武士の 清き性(サガ) 今こそ振え 大和魂
よ より強く より氣高かきと 研鑽の 学びの技は ひとにもらさじ
た 誰彼と 人の噂は せぬものぞ 己に返る ものと知らずや
れ 礼儀とは 人と人との絆なり 握りし糸を手放すなひと
そ 空と海 山と川との大自然 汚すな人々 これぞ神々



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合気道唯心会 関西地区本部

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